三鷹、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺……今でも独特な熱気を帯びる中央線沿いの街には、大正末期から昭和初期にかけて、太宰治をはじめ多くの文豪が住んだことで知られています。彼らは中央線界隈で、文学を語り合い、酒を酌み交わし、そして多くの名作を生み出してきました。今回は「中央線文学さんぽ」と題し、文豪にゆかりのあるスポットをご紹介します。
太宰治ゆかりの地【三鷹】
『人間失格』『斜陽』などでよく知られる太宰治。昭和14年、山梨県甲府市から三鷹の下連雀に移り住んだといわれています。数々の名作を生み出し、終焉の地ともなった三鷹には、太宰治にまつわる場所が多々あります。
太宰治文学サロン
三鷹駅南口より徒歩3分の場所に『太宰治文学サロン』があります。ここは、太宰一家が利用していた『伊勢元酒店』の跡地なのだそう。
サロンは入場無料。太宰治の写真や直筆原稿の複製、略年譜など、さまざまな資料が展示されています。
太宰治の生涯や、ゆかりの地について、常駐するガイドボランティアの方にお話しを聞くこともできます。展示されている資料を眺めながら話を聞けるのは、このサロンならではの贅沢。散策の前に、太宰治ゆかりの地を巡るおすすめルートを教えてもらうのもよいかもしれません。
【住所】東京都三鷹市下連雀3-16-14 グランジャルダン三鷹1階
【開館時間】午前10時~午後5時30分
【入館料】無料
【休館日】月曜日、年末年始
太宰治が好んで訪れた陸橋
『太宰治文学サロン』から約700ⅿ、中央線路沿いを西に歩いて行くと、太宰治が好んでよく訪れた陸橋があります。この陸橋で撮影された写真は、太宰治の写真の中でも有名な一枚で、今でも多くの太宰ファンが訪れているのだそう。
陸橋の横断部は見晴らしがよく、大きく広がる空や長く伸びる線路、行き交う電車を眺めることができます。太宰治はここで何を想い、何を見つめていたのでしょうか。
玉川上水 入水地
三鷹駅から玉川上水沿いを少し歩くと、「玉鹿石(ぎょっかせき)」が置かれています。昭和23年、太宰治は愛人の一人であった山崎富栄と、この辺りから入水したといわれています。
玉鹿石から20メートルほど駅の方に向かうと、ポケットスペースがあります。
ここには、太宰治が玉川上水を「青葉のトンネル」と表現した、『乞食学生』の一文が刻まれた碑が建てられています。緑が生い茂る夏のこの日、石碑の向かいを流れる玉川上水はまさに青々とした葉に覆われ、トンネルのようになっていました。
森鴎外・太宰治が眠る禅林寺
三鷹駅からバスで5分のところにある『禅林寺』には、森鴎外と太宰治の御墓所があります。2人の文豪の墓は、三鷹市の指定文化財になっているのだそう。
こちらは、森鴎外の墓です。本名である森林太郎(もり・りんたろう)の名前が刻まれています。昭和19年に発表された太宰の『花吹雪』には、こんな一説が残されています。
「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。(中略)ここの墓地は清廉で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」
その意が汲まれて、昭和24年の太宰の一周忌に、森鴎外の墓碑の斜め前に墓碑が建てられたといいます。
墓碑に刻まれているのは、太宰自筆の文字。
太く刻まれたペンネームに、作家として熱く生きた生涯を感じることができます。お盆明けのこの日は、色鮮やかなお花が手向けられており、今もなお多くの人々に愛されている様子が伺えました。
【住所】東京都三鷹市下連雀4-18-20
【公式サイト】http://www.zenrinji.jp/
作家たちの集いの場【阿佐ヶ谷】
井伏鱒二率いる「阿佐ヶ谷会」が集った街
昭和初期から阿佐ヶ谷には、『山椒魚』で知られる井伏鱒二が中心となって作られた「阿佐ヶ谷会」という文士たちの会合がありました。
阿佐ヶ谷駅前の中華料理店「ピノチオ」をたまり場として、阿佐ヶ谷界隈に暮らす多くの作家たちが、将棋を差しながら、文学を語り合い、酒を酌み交わしたといいます。三好達治、太宰治、青柳瑞穂、安成二郎、尾崎一雄など、錚々たるメンバーの憩いの場となりました。
ピノチオは阿佐ヶ谷駅北口のロータリーの向かい、今は西友がある場所の前にあったとされています。今でも活気のある阿佐ヶ谷の駅前。まるで文士たちが熱く語り合ったエネルギーが、今でも残っているようでした。
多くの文豪が暮らした【馬橋(まばし)】
川端康成、梶井基次郎、小林多喜二が暮らした街
現在の阿佐ヶ谷南、高円寺南付近にあたる「馬橋(まばし)」は、川端康成、梶井基次郎、小林多喜二などの多くの文豪が暮らした街です。
今では「馬橋」という地名は残っていませんが、阿佐ヶ谷駅徒歩10分のところにある神社「馬橋稲荷」に、その地名の名残を感じることができます。
馬橋稲荷神社
厳かな空気が漂う『馬橋稲荷神社』は、今でもパワースポットとして多くの参拝客が訪れています。
かつて文豪たちも、神社へお参りに来ていたのでしょうか。境内をゆっくり散策しながら、当時の彼らの暮らしに想いを馳せてみるのも楽しそうです。
【住所】東京都杉並区阿佐谷南2-4-4
【公式サイト】http://www.mabashiinari.org/
与謝野晶子ゆかりの地【荻窪】
「荻窪」は、『みだれ髪』で知られる与謝野晶子のゆかりの地。商店街にも、与謝野晶子・鉄幹夫妻をイメージしたイラストが飾られています。
与謝野晶子が暮らした住居の跡地:与謝野公園
荻窪駅南口から徒歩15分のところにある「与謝野公園」は、与謝野晶子と夫・鉄幹が晩年を過ごした住居の跡地です。
昭和57年に「南荻窪中央公園」という名で開園しましたが、平成24年に「与謝野公園」と名を改めて、与謝野夫妻ゆかりの地として再整備されました。公園のすぐ近くには「与謝野晶子サロン」があったそうですが、残念ながら2017年2月に閉店したとのこと。
公園には2人が好きだったという樹木が植えられ、旧居跡の説明が書かれた石碑や、与謝野晶子と与謝野鉄幹の短歌が記された14基もの歌碑が建てられています。歌碑を読みながら、ゆっくりとした時間を楽しみたくなる公園です。
【住所】東京都杉並区南荻窪4-3-22
与謝野晶子が校歌を作詞した小学校
荻窪駅の近くには、与謝野晶子が校歌の作詞をした「桃井第二小学校」があります。昭和11年に制定された校歌は、杉並区指定文化財に認定されました。校内には歌碑も建てられているようです。
作詞をするにあたって、与謝野晶子はあらためて道で出会う子供たちに注意を払うようになり、その愛らしさ、尊さに胸を打たれたといいます。与謝野晶子の愛情がたっぷり注がれた校歌を受け継ぎ、これからもたくさんの子供たちがこの校舎から羽ばたいていくのでしょう。
文豪の暮らした風景に想いを馳せる
多くの文豪たちが愛した、中央線沿線エリア。活気あふれる街には、現代にも色鮮やかに残る名作を生み出した文豪たちのエネルギーが色濃く残っているようでした。
“文豪が愛した中央線の街に住んで、休日には文庫本を片手にゆかりの地を巡る”
文学好きの方には、そんな暮らしも楽しいかもしれません。文豪たちの暮らしに想いを馳せながら散策する「中央線文学散歩」、休日に楽しんでみてはいかがでしょうか。