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【VOL.82】現役最古参社員小梶が語る、代表山下を20年間支え続けたワケ
「リノベる株式会社」は、2010年4月に代表の山下智弘がたった一人で興した会社でした。それから13年、現在は社員270人、パートナーシップを組む不動産会社や施工業者、金融機関は500社にもなる企業へと成長することができました。
実は、この270人の社員の中に、リノベる創業以前から山下と共に歩んできた最古参の社員がいます。その人の名は、社員番号1番『小梶比奈子』。管理本部総務労務部に所属し、年齢は70歳。65歳からは嘱託社員として大阪のオフィスで勤務しています。
今回は、現役最古参社員の小梶から見た山下や、リノベるについて話を伺いました。
■一生懸命な姿を放っておけなかった
山下が個人事務所「フィールド」を設立して独り立ちしたのが2002年11月11日のこと。その後、2004年に法人化してリノベるの前身である「株式会社es」を立ち上げます。そのタイミングで、かつてラグビーをやっていた時の先輩から声がかかりました。飲食事業を手掛ける先輩で、互いの事業を手伝い合おうということになりました。そうして先輩の飲食事業、店舗設計のesという両輪で、会社を動かしていくことになったのです。小梶は先輩の伯母で、先輩の会社の経理や事務などを手伝っていました。小梶の、山下への第一印象は「やんちゃな男の子」でした。
小梶「すごく元気で、『なんでもやります!』って張り切っているように見えました」
当時の年賀状に写るのは創業時のメンバー。左2番目が小梶3番目が山下。
飲食経営と店舗設計の両輪で動き始めたものの、やがて経営方針の違いから、先輩とは袂を分かつことになってしまいました。小梶は、自分の甥が経営する会社で働いていたにも関わらず、なぜか山下の会社についていくことを決断します。
小梶「山下くんが『将来、きっと大物になる!』と思ったからついていったのではなく、逆にこんなに一生懸命な人を放っておけなかったんです。甥っ子の事業はある程度軌道に乗っていたので、必要なら誰かを雇うこともできる状況でした。だから、私は山下くんについていくのが当然だと思っていました。出会ったばかりだったので、どんな人かはまだ知りませんでしたが、今思うと山下くんの誠実さが、そういう気持ちにさせたのかもしれません」
いざ、山下率いる会社で働くようになったものの、小梶は資金繰りの苦労に直面します。
小梶「当時は自転車操業でヒヤヒヤしっぱなし。業者さんへの支払いや社員への給料が払えなかったらどうしようと思うくらい、お金はいつもなかったし、大変だったけど、やめようと思ったことは一度もないんです。山下くんはすごく生き生きとしていて、面白いと思ったことがあれば突き進むタイプ。首からガラケーをぶら下げて、自転車に乗って走り回っていました。ある時、山下くんが自転車で出掛けたまま行方不明になってしまったことがあったんですけど、あとで彼女のところに行っていることがわかりました。その彼女が今の奥様です。仕事にも人にも一生懸命だったんですね。そんな山下くんの元で働くのが本当に面白かったんだと思います」
es時代の集合写真。左から2人目が山下、後方に写る眼鏡をかけた女性が小梶。
黒字が出るようになると、銀行から融資を受けられるようになるのですが、入ってきたお金をまた次の事業に費やしてしまうため、やはり資金繰りに追われる日々は変わらなかったと振り返る小梶。
小梶「ある時、お金が工面できなくて本当に支払いに行き詰まったことがありました。『山下くん、本当にお金がないよ』と伝えたら、『小梶さん、後ろ向きになるようなこと言わんとってください!』って言われたんです!すごいなと思いました。それ以降は、お金の話は止めよう、彼が手ごたえで一番よくわかっているはずだから。彼の前向きさという原動力を抑えることは止めようと思いました。
またある時は、支払いが遅れてしまっている取引先の人が事務所に怒鳴り込みに来たこともありました。事務所にいた小梶や他のスタッフは何もできずにいたのですが、山下くんはその人を別室に案内して、しばらく話をしていたら、あんなに怒っていた人が『すみませんでした。今後ともよろしくお願いします。』と謝って帰っていったんです。こちらもすごいなと思いました。どんな相手とも向き合って話をして、理解を得ることができる、そんな摩訶不思議な説得力があるんだと思います」
北堀江のオフィスの外観。1階が家具工房になっている。
■単身、東京でリノベるを興す山下を、大阪からサポート
資金繰りで苦労しながらも、esでの仕事は少しずつ回り始め、最初にオフィスを構えた瓦町から北堀江のオフィスビルに移転した時は、1F、2Fに家具工房、3Fが事務所構え、屋上にも雑貨店を新たに設けるなど、ユニークな試みにも挑戦しました。
北堀江のオフィスの様子。
次に移った南堀江のオフィスでは、工房やオフィスは残しつつ2Fにショールームを設置しました。
小梶は、いろんなことを試してみて、それを実現していく山下を、『面白いな』と思いながら支え続けてきました。山下が住宅リノベーションへの思いがかき立てられるようになったのもちょうどこの頃でした。
南堀江のオフィスの外観。つながりを意味するパズルをかたどった装飾が印象的。
南堀江は1Fが家具工房、2Fがショールーム、3Fがカフェ、4Fが事務所だった。移転があり2年後に1Fはウェディングカフェに。
小梶「山下くんが『住宅リノベーションをしたい』『東京に行きたい』と言い始めたのですが、みんな大阪から東京に引っ越すのは現実的ではなく、山下くんが東京に行くのを全員で送り出して、山下くんは東京で人を集め、私は大阪で、東京の事務所の経理も手伝うことになりました。このあたりから、さすがに私も「山下くん」をやめて「山下さん」や「社長」と呼ぶことにしました。この先は山下さんと呼びたいと思います」
2010年4月に東京の千駄ヶ谷で「リノベる株式会社」を創立してからは、会社の事業内容や規模が拡大する一方。毎月のように社員が増え、小梶の業務も増えることに。当然のことながら1人で担うことができなくなり、経理社員を採用することになりました。しかし、会社の急拡大に合わせた経理業務が煩雑すぎたのか、入社しても1年足らずで辞める人が少なくなかったといいます。
小梶「会社の成長に経理がついていけなかったんでしょうね。今までのことをわかっている人間が私しかいなかったので、『前はどうでしたか?』とよく聞かれましたし、私も責任感と義務感から、なんとか支えなくてはという思いがありました。病気もなく、休まずやれたというよりは、休めない状況だったのかもしれません。重要な入出金業務から外れることができなかったので、病気をすることが一番怖かったです。5年くらい前になってようやく落ち着きました」
山下もまた、会社の成長とともに多忙さを極めたものの、大阪に戻って来た時は、小梶の机の横に座って雑談することもあったといいます。また、小梶の元を訪れるのは山下だけでなく、他の社員も同じ。雑談をして一息入れながら、仕事のことやプライベートについて相談を受けることもしばしばあるそう。
「昔から、山下さんはよく隣に来て、観た映画の感想を話したり、仕事で『これどう思います?』って意見を求められたりしていました。でも、別に私に答えを求めているわけじゃなくて、ただおしゃべりしたかっただけみたい。山下さんには、そんなかわいらしいところもあるんですよね」
現在の山下と小梶。
■謙虚なところは変わらず、信じて頼れる人になった
長年、山下を見続けてきた小梶にとって、「変わった」と感じる部分もいろいろあったといいます。
小梶「昔は少々尖っていたところもあったけど、すごくいい顔になりましたね。人間的に成長して、信じて頼れる人になりました。それでいて、謙虚で恩義を忘れないところは昔から変わっていません。山下さんはいろんな人と業務をやっていく中で、みんなからいろんなものを吸収する力があると思うんです。山下さん自身も、吸収させてもらっているという自負があるので、世話になった人への恩義を絶対に忘れないんだと思います」
今年3月、小梶は古希を迎えました。山下はサプライズで大阪のオフィスに登場し、「70」のキャンドルが刺さったケーキをプレゼントしました。
小梶「私が還暦の時にお祝いしてくれてから、時々忘れることもあるけど、こうしてお祝いしてくれるようになりました」
小梶もまた、今年4月の山下の誕生日には、藤沢周平の時代小説をプレゼントしたとのこと。
小梶「私は潔い武士道の考え方が好きで、藤沢周平の時代小説が大好きなんですが、山下さんはいつも難しそうな本を読んでるから、ちょっと息抜きをしてほしいなと思ってプレゼントしました。歳を重ねると時代小説が面白くなるんじゃないかな?」
古希の誕生日には、山下から70のろうそくとケーキのプレゼントがあった。
■最古参社員が現役で働き続ける姿を見せたい
小梶は65歳で定年を迎えた後、現在は嘱託として働きつづけています。今はもう資金繰りで苦労することはありませんが、リノベるの発展ぶりを間近で見られるのが楽しみだと言います。
小梶「会社がどんどん成長していく過程をつぶさに見られるのって、会社で働く人間の醍醐味。こんな経験をさせてもらえて感謝しています。もし成長も学びもなく、同じような状態がずっと続いていたら65歳で辞めていたかもしれません。それに、女性で70歳でも会社で働き続けている人って他にあまりいないと思うんです。後輩のためにも、年齢に関係なく働けるところを見せたいという気持ちもあります」
多くの後輩社員は小梶のことを「リノベるのお母さん」として慕っています。それは、小梶がいつまでも謙虚で誠実で、やさしく包み込んでくれる安心感があるからだと言います。
萩森浩美(設計施工本部首都圏デザイン部 部長代理)「悩んでいる時、ほっとしたい時、多くの社員が小梶さんの隣の席に行くんです。私もその一人なのですが、話しかけると、どんな時も手を止めて、しっかり耳を傾けて下さるんです。大半の社員にとっては、入社当時からずっといる存在なので、安心感があるのはもちろんですが、いつまでも考え方が柔軟で、固定観念なくフラットに相談に乗ってくれるところが本当に素敵だなと思います」
西郷俊彦(都市創造本部 本部長)「小梶さんとは13年ほどのお付き合いで、良い時もそうでない時も一緒に過ごしてきましたが、どんな状況でも後ろに構えて背中をたたいてくれる、安心させてくれる、『大きな盾』のような存在だなと思っています。それでいてオープンで、自然とみんなが話しかけたくなる雰囲気があるんです。おもてなしが好きな一面もあって、ホームパーティに招いてくれたり、仕事以外でもメンバーをつなげてくれる存在です。みんなに慕われているのは打算的な気持ちがないからかなと思っていて、そういうところを僕は尊敬していますし、山下さんが小梶さんを長年信頼している理由の一つなんじゃないかなと思います」
南堀江オフィスの退去前、最後の忘年会。萩森、西郷含む当時の大阪オフィスのメンバーや外注さんとの1枚。
とはいえ、自分が70歳になっても働き続けてもいいものか悩んだこともあったそう。会社に相談したところ、半年ごとの更新を提案され、小梶もそれを受け入れました。
小梶「一応健康ではありますが、部品交換したい箇所もでてきていますし(笑)、半年ごとの更新だと私も気が楽です。いただいた給料分の仕事ができていると思う限りは、頑張っていきたいです」
小梶が長く働く上で、大切にしてきたことは「協調性」。
小梶「私は事務や経理の仕事をしてきたので、間違いがないようにきっちりするのが当たり前でした。でも、別の部署の人たちは、こうした業務が得意でない人も少なくありません。昔は、『あの人は事務仕事もできないんだから、他の仕事もできないに違いない』と考えてしまうこともありましたが、これは間違いだということに気づきました。会社が大きくなった分、専門性の高い方も増えて、それぞれ得意なところが違います。お互いができないところを補い合い、みんなとうまくやってこられたからこそ、私もここまで働けたのではないかと思うんです。社員全員が支え合いながらリノベるという歯車の一部として活躍し、社会を動かしていく存在になれば、と思っています」
小梶が山下と働きはじめてから、20年近くが過ぎようとしています。
小梶「甥っ子の会社を出て、山下さんについていったのは放っておけなかったからだけど、私の人を見る目は間違っていなかったのかも(笑)。私は現状維持で穏やかでいればいいというタイプだけど、山下さんは冒険心あふれるタイプ。自分がこうだと思ったら突き進んでやっていくから、明日のことを考えると眠れない夜があったり、しんどい思いをしたこともありました。でも、私利私欲がなく、誰かがよろこんでくれることをしたいという彼の気持ちは今も変わらず、信念を貫いています。そんなところがすごく面白いし、私はこれからも彼とリノベるの発展ぶりを見続けていたいし、ますます、これからもどんな冒険が始まるのか楽しみです」
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